「遅くなってごめんねー」
糸井繁美が元気よく部室のドアを開けて入ってきた。
「本当に遅いわね、もう帰ろうかと話していたところよ」
水口陽子はそう応じたが、私達は帰る話なんてしていなかった。
この二人の遠慮のなさが窺える。
「そんな意地悪言わなくてもいいじゃない、病人はいたわってよね」
こんな元気な人のどこが病人なのかよく判らぬまま私は話を聞いている。
「第三校舎の保健室でお休みでしたわね」
水野真澄はどうして休んでいたことを知っていたのだろう。
たまたま通りがかったのだろうか。
でもそれなら声くらいかけそうだし、もしかして読心術?
「具合が悪かったんですか?」
私は一応聞いておくのが礼儀だろうと思って聞いてみた。
「こう見えても、低血圧なのよ。ふらふらしちゃって」
「お塩でも舐めていればいいのよ」
水口陽子は容赦がないな、と思った。
「腎臓に悪いでしょ、それ」
「青海苔やひじきで鉄分を補給するのがよろしいかと思いますよ」
水野真澄が言っているのは食生活習慣かな、と私は考えた。
でも彼女の時代にそういう栄養学ってあったのかも疑問だ。
「お母さんに頼んでみるわぁ、ってそうじゃなくて!」
「また何かあったんですか?」と私は尋ねた。
「また、ってこともないけど、保健室の先生、なんか変なのよ」
「変ってどういうことかしら」
水口陽子は落ち着いている。
「ベッドで横になってる間、ずーっと折り紙を折っていてね」
「暇なんですかね?」と当たり障りのなさそうなことを私は言ってみた。
「それがただの暇つぶしとも思えなくてね。
ちょっと気になったんでひとつだけ拝借してきちゃった」
糸井繁美がポケットから鶴の折り紙を取り出した。
「なによ、これ」
折り紙を見ると字がかいてある。
そして折り紙を丁寧に広げると、一面にびっしりと書き込まれていた。
私達はそれを回し読みした。
「手紙かエッセイの様ね、宛名がないからエッセイかしら」
「なんか亡くなった方宛ての手紙の気もするけど」
糸井繁美が深刻そうな顔をしてみている。
「保健室の先生ってどなたでしたかしら」と水口陽子は尋ねた。
「小林先生よ」と糸井繁美が答える。
「まだ小林先生がいらしたんですか。もうご高齢ではありませんでしたか?」
水野真澄は流石に昔のことに詳しい。
「そうねぇ、かなりお年を召されてる風貌だったなぁ」
糸井繁美が珍しく感慨深そうに言った。
「随分昔の話なんですが・・・」
水野真澄が切り出し始めた。また怖い話ではないかと私は少し身構えた。
「保健室に運ばれてきた生徒がいたんですが・・・」
「自力で来られるならまだいい方だもんね」
糸井繁美はそう言うが、むしろ自力で来られる程度なら
水野真澄が語ろうとしていることにはならないだろうと私は予感した。
「しばらくはベッドに横になったものの、
高熱が続いていたので救急車を呼んだのですけれど、搬送中に亡くなってしまったのです」
「不審死ってことかしら」
やっぱり怖い話だ。
「つまりはその亡くなった生徒宛ての手紙ってこと?」
「小林先生に落ち度はなかったと聞いてはいますが、
この折り紙には念がこもっていますわね」
「念・・・?どんな念なんですか?」と恐る恐る私は聞いてみた。
「それがはっきりとは解らないのですけれど」
「どうしたものかしら」
「まずは直接小林先生と話すのがよろしいかと思います」
水野真澄の提案はもっともだと思った。
「では、参りましょうか」
4人で第三校舎の保健室へ小林先生を訪ねることにした。

 保健室のドアをノックして「どうぞ」との声が聞こえたので水口陽子を先頭に入室した。
「こんにちは」と水口陽子が声をかける。
窓向きの机に向かっていた先生が振り向いた時に糸井繁美に気付いた様で
「こんにちは。あら、なにか忘れ物?」
「いいえ、忘れられないものをお持ちなのは先生なのではないですか?」
水口陽子の誘導尋問だと私は思った。
「なんのことかしら・・・」
そう先生は応じながら、一枚の折り紙を机の引き出しにしまおうとしているのが見えた。
「先生、その折り紙、何か書きかけだったんじゃないですか?」
糸井繁美がそう切り出してみた。
「・・・」
「小林先生、まだ高熱で亡くなられた生徒さんを気にかけているのですか?」
水野真澄が前に出て問いを発した。
「・・・どこまで・・・知っているの?」
やはり小林先生には秘密があるのだな、と私は思った。
「いいえ、殆ど存じません。ただ、小林先生が解放されていないご様子でしたので」
「先生、お話頂けますか?」
「あなた方は関わらない方がいいわ、何故なら・・・」
そう言いかけて小林先生は椅子にもたれたまま気を失った様だ。
「先生、大丈夫ですか?」
と声を掛けながら水口陽子が駆け寄り先生の身体を支えようと肩に触れた。
「あ、熱い!」
思わず手を離す水口陽子。本当に驚いた様子だった。
「え?熱い?」
「白衣が熱を持っているのよ」
「灼熱霊・・・」
水野真澄が呟いた。
「え?しゃくねつれい?」と私は鸚鵡返しに聞いてみた。
「灼熱霊に取り憑かれると、身につけているものが全て熱を持つのです」
彼女の知識の豊富さにはいつも私は感心する。
「じゃ、以前の高熱を出していた生徒も?」
糸井繁美の洞察力にも私は感心する。
亡くなられた生徒も灼熱霊とやらに取り憑かれていたのだろう。
「灼熱霊は相手が死ぬまで取り憑き、亡くなると別の宿主を探します」
「寄生虫みたいなものかしら」
水口陽子の例えは面白い。とても柔軟性があるのだなと私は常々思わざるを得ない。
「そうですね。ともかくも早く除霊を行わないといけません」
「ここで出来るかしら」
「破邪の呪文だけで十分ですから」
そう言って水野真澄が呪文を唱え始める。
「熱いっ!」
呪文に反応してか、糸井繁美のポケットに入れていた鶴の折り紙が燃えていた。
同時に机の上に置いてあった折り紙も燃え始めた。
「火事になるわ、消しましょう」
水野真澄が呪文を唱えている傍ら、
私達3人は燃えている折り紙を床に叩き落とし、靴で踏んで消火した。
その間も水野真澄は淡々と呪文を唱え続けている。
「除霊が終わりました」
終わった様だ。
「先生が大丈夫かしら」
水口陽子が小林先生を揺さぶる。もう熱くない様子だ。
「ん・・・ん・・・」
「先生、気がつきましたか?」
「身体が・・・熱くないわ・・・」
先生はまだ不思議そうに呟いた。
それでも少し安堵した様子でもある。
「もう大丈夫ですわ、小林先生」
「・・・何をしたの?」
「除霊をさせて頂きました」
「そんな・・・」
小林先生が今度は意外な反応を示した。
「え?」
「熱と闘うことで姪へのせめてもの慰めになると思っていたのに・・・」
「姪?」
「高熱で亡くなられたのは先生の姪っ子さんだったのですね」
「でもお礼を言うべきところね、私の体力は限界だったから・・・ありがとう」
これまで随分と長く辛い日々を送ってきたのだろう、と私は思った。
「いえ・・・」
「姪はね、とても折り紙が好きだったの。
だから私は姪への手紙を書きながら祈りを折り紙に託していたの」
「そうでしたか。姪っ子さんも成仏されたと思いますよ」
「そうね・・・ありがとう。これで普通の生活に戻れそうだわ」
小林先生はそう言ってゆっくり目を閉じた。
感慨深いものがあるのだろう。
「それでは私達はこれで失礼しますね」
先生は目を閉じたまま軽く頷いた。疲れ果てていたのだろう。
灼熱霊を自らの身体に留めておくのは尋常なことではなかったに違いない。
敬意を表しつつ、私達は保健室を後にした。