部室で雑談をしていると、糸井繁美が入ってくるなり口を開いた。
不安げに慌てている様だ。
「あのね、私の友達が立ち入り禁止の奥井沼付近で行方不明になったみたいなの」
「行方不明に?」と私は鸚鵡返しに反応してしまった。
「奥井沼というと敷地内でもかなり奥の方ね。でもどうしてそんな所に?」
水口陽子が冷静な説明を求めた。
糸井繁美が中央の机に手をつきながら言う。
糸井繁美「確かな情報じゃないんだけど、奥井沼まで来いって脅されていたみたいで・・・」
「脅してきた相手は誰なのかしら」
水野真澄が的確な質問を放った。
「それが・・・脅してきた相手も理由もよくわからないの」
「それでそのご友人を捜したいのね」
「うん、出来ればそれを手伝って欲しくて」と糸井繁美は切実そうに訴えた。
「まずは現場を見てみることね、早速奥井沼まで行ってみましょうか」
水口陽子は私の方を見て
「今回はちょっと危険かもしれないけれど、あなたもいらっしゃい、何事も経験よ」と
声を掛けてくれた。
「はい、私も行きます」と素直に応じた。

 支度をして部室を出て林道から更に細い林道を抜けて奥井沼へと私達4人は向かった。
「随分と奥だったわね」
「そうですね、実際に来てみたのは初めてです」
水野真澄でさえ来た事のない奥地である様だ。
見た目は沼というよりも湿地だが、それを囲むようにして杭が打たれロープが張られている。
「立ち入り禁止の札がロープに掛けられているわね」
水口陽子が状況観察の所見を述べた。
糸井繁美は懸命に中を覗き込み「あ、あそこにバッグみたいのが」と言った。
「確かにあれは学校指定のバッグですわね」
水野真澄も見つけた様だ。私もその視線の先を追って見つけた。
糸井繁美はいてもたってもいられない様で「ちょっと見てくる」と動き始めた。
「あ、待って、気をつけないとだめよ」と水口陽子が釘を刺す。
「大丈夫!」
糸井繁美がロープをくぐって立ち入り禁止内に入っていく。
それを追うようにして残る3人も慎重にロープをくぐった。
「あれ、これ何かしら」
バッグの側にあった紙を糸井繁美が拾った。
「それが脅迫文かしら」
追いついた水口陽子が問いただす様に言った。
「確かに糸井さんのご友人のものでしょうか」と私は念のため聞いてみた。
糸井繁美は拾った紙に目を落とし音読し始める。
「えーと・・・『君の秘密を握っている。ばらされたくなければ
明日午後3時に奥井沼に例の物を持って来なさい』だって」
「秘密ってなんでしょうかね」
怪しげな話だな、と私は思った。
「例の物というのも気になりますわね」
水野真澄も思案深げだ。
「あ、もしかして・・・」
「もしかして、何?」
「曲玉みたいなのを持っているのを見かけたの」
曲玉ってどんなものだっけ、と私の思考は追いつかずにいた。
その時、唐突に水口陽子が叫んだ。
「ちょっと繁美さん!足下が沈んでいますよ!」
糸井繁美はくるぶし辺りまで沈んでいた。
「あ・・・足が抜けない!」
泥に沈んでいるのかなと私は呑気に考えていた。
「私につかまって!」
水野真澄が手をさしのべたが
「真澄さんも沈んでるわ!」
糸井繁美が水野真澄の足下を見て言った。
「ロープか何かを持ってくるわ!なるべく動かないで!・・・って、みんな沈んでるじゃありませんか!」
私も含め、全員沈み始めている。
「ここってただの湿地じゃなかったの!?」
もう悲鳴に近い。
「立ち入り禁止だった訳がわかりましたね」
水野真澄だけが冷静だ。というより冷静すぎる。
「まさか底なし沼!?」と糸井繁美が訴える。
「それならそうと書いて置いて欲しいわね、どうしましょう」
水口陽子にすら想定範囲外だった様だ。
「もがけばもがくほど沈んでいくみたいです」と私はもがくのをやめてみた。
だがそれでも次第に沈んでいく4人。もう首まで沈んでいる。
貴重すぎる経験を私もしている、言葉にもできないくらいの。
「誰か〜!助けて〜!」
「近くには誰もいないと思いますよ」
「真澄さん!そんな冷静過ぎる言葉は・・・あ・・・」と水口陽子も危うい。
「も、もうだめ〜!」
「装備不十分でしたわね・・・あ・・・」
すっかり沈みきった4人。しかし地下の空洞に落ちる。

「いた〜い!なにここ!」
糸井繁美の声が空洞に響き渡った。
私達は地下にある空洞に落ちた様だ。
暗く、じめじめとした湿気が立ちこめている。
「こんなところに空洞はあるとは」
「皆さんいらっしゃいますのね、怪我はしてない?」
水口陽子が点呼を取る様に言った。
「痛かったけど怪我はしてないみたい」
「ちょっと膝を擦り剥いてしまった様ですが大したことはありません」
「私は大丈夫です」
4人ともなんとか無事ではある様だ。
しかも沼の中を通ってきた筈なのに、泥が付いている様な感触はない。
「でも真っ暗で何も見えない〜」
「この空洞、古くからあるみたいね」
「学園内に秘密の地下神殿があると聞いたことはあります、噂程度でしたが」
水野真澄は流石に詳しい。
「私達はここに閉じこめられたのでしょうか」と私は不安を覚えた。
「どこかに出口がある筈よ」と水口陽子は冷静だ。
「でもこれだけ暗いと出口を見つけるにもどうしたらいいんでしょ」
糸井繁美は困惑気味だ。
「きゃっ!」っと糸井繁美が叫んだ。「何かに触った!」
「私の手ですよ、私もびっくりしました」
「ああ、そうだったんだ。これだけ暗いと手探りもおぼつかないわねー」
そのとき灯りがひとつ点る。
「灯りだわ、何かのお出迎えかしら」
ぽつりぽつりと次々に灯りが円上に点り始めた。
「なんだか嫌な予感がする」
「誰かいるってことですよね」と私は尋ねた。
「本当に神殿であれば祭られているものがいる筈ですけれど」
「でも地下で祭られているなんて」と私は言いかけてやめた。
言葉にするのも怖かったからだ。
灯りがみるみる間に増えてゆき、空洞の全貌を照らし出した。
中央付近に祭壇らしきものが見える。
「やはり地下神殿かしら」
「あ、あそこに誰か倒れているわ」と糸井繁美が気付いた様に言う。
「真弓ちゃん!?」
祭壇のはるか手前に倒れていた真弓に糸井繁美が駆け寄り抱き起こす。
「真弓ちゃん!大丈夫?」
「ん・・・あ・・・繁美ちゃん?」
「大丈夫?何があったの?」
「あれ・・・私どうしたのかしら・・・ここはどこ?」
脅迫された本人は状況を把握せぬまま気絶していた様だった。
「奥井沼の下の地下神殿よ」
水口陽子が見解を述べた。
「地下神殿?」
「真弓ちゃん、脅されたんでしょ?それに曲玉はどうしたの?」
「私が脅された?曲玉って?」
どういうことだろう、と私は思った。
水口陽子は少し思案してから口を開いた。
「どうやら記憶を消された様ね」
「記憶ないの?」
糸井繁美が問いただす。
同時に水野真澄が祭壇を指さし「あの祭壇に曲玉が並べられていますわね」と言った。
その時、声が響いた。
「また招かざる客人か」
「声?どこから?」
困惑する糸井繁美。
「祭壇の方から聞こえてきますね」
水野真澄は冷静に観察している。
「お主らの記憶も消してくれよう、ここの秘密は誰にも明かせん」
「じゃ、あなたが真弓ちゃんの記憶を消したのね!許せないわ!」
「ここへ足を踏み入れたお主らが悪いのだ」
「秘密の地下神殿という訳ですね、この秘密を守る為に記憶も消す、ということですね」
水野真澄は観察を続けつつ言った。
「そうかんたんにはいきませんことよ」と水口陽子が対抗姿勢を示し身構える。
「無駄なあがきだ」
「そうかしら。結界を張るわよ、皆集まって!」
皆が水口陽子の周りにかたまる。
今回は立方体状の結界だ。
祭壇の声が静まった。
私達も固唾を呑む。
「曲玉と言っていたわね」と水口陽子が切り出した。
「祭壇の力の源は曲玉にあるのじゃないかしら」
「沢山の曲玉が祭壇に並べられていますわね」と水野真澄が観察を述べる。
糸井繁美が祭壇に並べられた曲玉に目をやり「私、取ってくる!」と言い、駆けだした。
「そうはさせぬ」とまた祭壇の声が響き
祭壇からの紫色の光が糸井繁美に向かったが、碧い光がそれを遮った。
私にも見覚えのある碧い光だ。
緊迫した事態の中、祭壇に走り込んだ糸井繁美は素早く曲玉に手を伸ばし、端から手に取る。
「な、なにをする、やめんか」
「これで全部かしらね」
「待って、安心するのはまだ早いわ」
祭壇中央にある巨大な曲玉が紫色に光り始める。
「繁美さん、逃げて」
今度は巨大な曲玉に向かって碧い光が向きを変えた。
「私達を守護してくださる碧い魔物・・・」
水野真澄の言葉に、先程から碧い魔物が守っていてくれたのだと漸く私は理解した。
「ぐっ!そうか、目覚めていたか。しかしその者達は貴殿の名も知らぬ様だが・・・」
「あなたは碧い魔物をご存知なのね」
水野真澄が碧い魔物について問うともなく言った。
「この・・・土地の歴史を・・・もっと知るがいい・・・」
祭壇からの声の力が弱まっている様だ。
「今のうちよ、逃げましょう」
糸井繁美が間髪を入れずに言った。
「あそこに出口があるわね」と水口陽子が指さす。
「小さな曲玉はもう悪さが出来ない様に預からせてもらうわよ」
「さあ、行きましょう」
「随分狭い出口ですけれど」
人一人がやっと通れる程度の出口だ。
「どうやら小さな曲玉がないと祭壇の周囲からは動けなくなった様ね」
水口陽子は祭壇にいる者の力を推し量った。
「ではゆっくり慎重に出ましょうか。真弓ちゃん、歩ける?」
「う、うん」
「じゃ、行くわよ。さようなら、神殿さん」
最後尾で警戒しながら水口陽子が言い放ったが祭壇からの応答はなかった。
ともかくも全員無事に脱出できたことは喜ばしい。
最初に水口陽子が言っていた様に、確かにちょっと危険だったけれど
この学校の敷地内には様々な者が潜んでいて
それらを押さえ込むことも第二霊能部の仕事なのだと
私にとっては大いに勉強になった出来事だった。